Freestyle labについて

なぜゲリラ的チームとしてのフリースタイル研究室が生まれたか

この記事はどちらかというと運営者自身に向けて書いており、自分たちが初心に戻って活動を続けるための原動力にするためのものです。
なので有益な情報やメリットがある記事ではないですが、自分たちを見失わないように投稿しておきます。

8.27新宿 日本から出たい

Naoとは生活に停滞感を感じたら会うことにしている。
前回会ってから数ヶ月が過ぎ、いつものごとく新宿へ。
いつも話すことは仕事の話からだけど、お互いにそこそこうまく行っていることもあって、悩みなんかの話は出ず、すぐに将来の話や抽象的な話になるのがFSL(FreeStyleLab)スタイル。
結構前から、「日本ってやばいよね」という話を必ずするようになった。俺が日本に向いていないこともあってこの話を出すことが多いけど、Naoも同じような種族なので結構盛り上がる、というか会って序盤はその話ばっかする。
「てか日本で600〜800万とかそこらの年収のクラウドエンジニアが、US行くと2400万(平均)ってどういうこと?」って感じのお話をナンのカレーを食べながら延々と話すけど、話しすぎてナン一つ食べるのに1時間くらいかかる始末。
話が日本の社会制度や主義(資本、社会、共産)の話まで一通り話して、トーマス・セドラチェク斎藤幸平さんの対談あたりまで広がった頃にはお決まりの日本脱出論も一通り話せて満足。カレー屋を出た。

俺たちが生きる今後の世界

シーシャ店に来るととりあえずリラックスして今やりたいこととかを話す。
ローンチしたいサービスや、キャッチアップしたいテクノロジーについてとか基本的にはデジタル&テクノロジー関連の話へ。
そんな中でテクノロジーの最先端にいるNaoいわく、今はメタバースが鬼アツとのこと。
エドバース(Edoverse foundation)っていうプラットフォームがあり、そこの土地はバーチャル空間であるにもかかわらず、15坪7万円なんていうリアルな地方より高い値段で取引され、既に完売している。今は何もない空間だけど、多くの投資家や一般人が可能性を見出して購入しているという話。
メタバースと関連した話だと、サピエンス全史で有名なYuval Noah Harari(LINK)が『21 Lessons』の中で、「近い将来、世の中は有用者階級と無用者階級に分かれ、無用者階級には薬とゲームを与えて生かすことになる」みたいなことを言っていた。よく考えると、Harariが言っているゲームってメタバース??

そう考えると、メタバースの本質的な存在理由って「このまま(全世界合計では)人間が増え続けるなかで、無限に発生する欲望を現実世界で実現しようとすると、地球環境やリソースに収まりきらない。だからメタバースという仮想空間に欲望の排出先を向けることで現実世界の崩壊を止める」ってことなのか、と思い至る。

だから、メタバースに紐付くようなテクノロジーとしてNFTとかが発達し、無用者階級は全体構造が見えないまま、何にも気づかずメタバースの中で遊ばされることになるんじゃね?そうだとしたら無用者階級辛すぎる、、と思ったけれど、何も考えることなく仮想空間を自分の人生として生きていけるならむしろユートピアか?なんて考えもかも。
そうなると、現実世界のリソースは無用者階級の対立概念である有用者階級が使うことになるのかも。有用者階級は自分たちの好きなように現実世界のリソースを使い無用者階級は国から出れず、自分の地元で最低限の生活をし、メタバース上で生きることになる世界。
日本も含めて世界的にベーシックインカムの話が出ているのもこの方向性に繋がるものがある。

メタバースと最適化

メタバースが今後確実にくるとしたら、どういったサービスを提供すれば自分たちが意味を感じられるのか。
技術力はさておき、メタバースの波に合わせてそこに最適化するように何かを始めることもできる。ただ、それだと続かないだろうし、自分たちの活動に意味が見出せない気がする。

そもそも、「最適化」するということは、必然的に「居付く(いつく)」ことになる。
*「居付く」とは武道の言葉で、「そこについて離れない」ということ。内田樹が武道家でもあり、この表現をよく使う。
居付くということは常に後手に回るということ。後手になり続ける限り、どんなに努力しても常に後追いすることになる。
後手に回らないためには先手を打つ必要がある。
だからメタバースありきで何かしようとしている時点でそれは「最適化」であり後手に回っている。
そういった何かベースとなるものありきで製品やサービスを作り上げることを楽しめる人もたくさんいると思うけど、自分たちはそういうタイプではなさそう。
そうではなくて、普遍のものとして必要なものは何か。そして有用者階級の人にとって必要なものは何か。
メタバースの世界になろうが現実のまま進んでいこうが何が本質的に求められるのか、を考えてみた。

知性が欲しい

それでは有用者階級となる社会の上位階層の人々に普遍的に求められるものは何か。
今世の中が能力資本主義になりつつある中で、上位階層は必然的に「思考能力が高い人」 or 「思考することを楽しめる人」が多数を占める気がする。
ではそういう人が求めるものは何か?
知性。
知性は購入できない。厳密には知性を端的に表現しうる「学歴」などがあるけど、最近は昔と比べると大きく学歴へのイメージが変わってきている。たとえばミネルバ大学などが出てきてて、今までのハーバードが一番で見たいな感じではなくなっているし、そもそも大学自体が形を変えようとしている。
そんな中で知性が集まる場を作れたら普遍的に求められるものになるかもしれない。その知性は偏ったものだろうし、ほぼ確実に不完全なもの。
だけど自分たちが失敗まで含めて真摯に未知ののものを求める場が作れたら最高に楽しいと思った。
それでは知性があると認められるような空間をどのように作るのか。

Free Style Labが目指すもの

それは
①知的な情報を収集できること

②知的な議論が自由にできること

の二つだと思う。
それらを兼ね備えている組織があれば、知的な人たちはそこに属したい、または情報が欲しいと思うかもしれない。
伊藤穰一がコミュニティ(landing | HENKAKU Community)を作っているが、それは瀧本哲史さんのいう「ゲリラ」「ギルド」の先駆けかもしれない。
瀧本さんのいうように、大きな組織をいきなり作るのではなく、小さく自分の今いるところでギルドを作って変えていくということができれば面白い。というか社会変革なんてことはどうでもよくて、知性を追い求めながらも単純に自分たちが楽しめるギルドを作ると夢中になれる気がする。

先ほどの話をより具体的に自分たちの目指すコミュニティに落とし込むと以下のようになる
1.答えがある前提ではなく、常に答えに向かう過程であること(素人の素人による素人のための場)
2.制限のないトピックを共有すること(テクノロジー、ビジネス、哲学、本、英語、遊びなど制限のない場)

自由に興味のある内容を深く思考した上で提供することと、議論を自分たちの出来る限り深めることができれば結果的に他と違ったものになる。そのためには、自分達のチャレンジの経験を共有し、同じ雰囲気を持つ人に学んでもらい、かつ自分達が面白いと思うことを議論できる場を作ることが重要だと思う。

それは多くの人にとってはそこまで面白いものではないかもしれないけど、同じような感性や志を持っている人たちにとってはとても居心地の良いものになるはず。

だとしたら今自分達が取り組もうとしていることを全てオープンにして、それらの活動に共感してくれる人とゆっくりギルドを育てていくことができれば面白そう。

最近のマーケティング、ビジネスの潮流を見ても、ナラティブ、物語、パーパスとストーリー性が重要になっている。アイドルにしてもアイドルそのものが可愛いか、かっこいいかよりもどのようにして選ばれたのかの物語の方が重要になっている(ファンがメンバーを選んでデビューまで育てていく参加型のアイドルなんかが良い例。)。
同じように自分達の活動をありのまま曝け出した超リアルな物語として公開し、それらから学びを得られるようにしてほしい。
そんな場を作ると楽しいかもしれない。
こんな経緯でフリースタイル研究室をはじめた。

ちなみにフリースタイル研究室という取り組みの由来は、Naoが偶然最近買った面白い本の名前「フリースタイル言語学」と、俺がよく読むブログの「内田樹の研究室」を合わせてみた。

実際に、フリースタイルでなんでも載せていくという意味と、研究室(ゼミ)のように少人数で深い議論や自由闊達なチャレンジができる場というイメージから来ている。

そのほかにも「物語」「好奇心」「気まぐれ」「ストーリー」なんかの候補もあった。最終的には語感と雰囲気で適当に選んだ名前だが、いづれにしても「物語性」「自由な活動」というのが重要な概念としてあるのかもしれない。

最後に、これらの活動は誰かに評価してもらうものというよりは、自分達が数十年後に死ぬときに、「自分達の活動、人生って物語として見てみると面白かったな」と思えるようにしたいという気持ちから来ている。

だから何にも縛られることなくフリースタイルで、しかし真剣に人生を深める場としてこの研究室を始めていきたい。

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Posted by freestylelab